太平洋の軌跡

 1997.04
 安永、同志社大学を中退し、早稲田に入学。この時中田は大学2年生、北澤は演劇研究会3年目だった。 安永、中田が4月に早稲田大学演劇研究会入会。この年の新人指導員が北澤であった。
1997.08
 演劇研究会新人公演にて、安永、中田と売れない漫才師をやる。本当に売れてなさげな漫才師の演技は 一部には好評だった。このとき北澤は演出だった。公演後、安永は中田とともに東京オレンジに入団。
 1998.02
 安永、演劇に疲れ、東京オレンジ退団。以後約1年中田、北澤と他人のふりをして暮す。夏にはアメリカに 逃亡。 中田、北澤は その後も東京オレンジで活躍・・・かと思いきや中田、夏に東京オレンジ退団。 以後謎の失踪生活に入る。
 1999.04
ふとしたきっかけで3人が出会ってしまう。最近面白い演劇がないと居酒屋で話すうちに一回やってみるか という軽いノリで公演決定。劇団名は東京オレンジ在団時にダミーサークルとして使ってた名前「太平洋」 (中田命名)にあっさり決定。何度か名前をしっかり考えようということにもなったが、その都度変な名前 しか思いつかず、諦める。そのときの話し合いで出た名前たちがそのまま以後の公演名につながっていく。
 1999.12
 太平洋第一回公演「ポコアポコ」。5人の役者によるストーリー性を無視したストーリー芝居が話題を呼ぶ。 怒涛のコントと、60分という短さで見たものに有無を言わせぬ芝居だった。この公演が実質以後の太平洋 の作劇の基となる。
2000.07
太平洋第二回公演「ワイキキブンダバ」。どらま館進出。前回よりもストーリー性を重視したが、それと同時に コントの量も増え、ますますシュールな芝居になる。役者も9人出た。が主宰3人以外は全員客演。楽日には お客さんが入りきれず帰すという事態に。この公演以後、奥村愛が初の劇団員として太平洋に参加。 また、 このころより、安永が原案、脚本担当に、中田が役者面担当、北澤が演出担当という役割分担がゆるくできる。
2001.03
安永、早稲田大学第二文学部卒業式の総合演出をする。同時多発的にイベントが起こるおもちゃ箱のような卒業式
だった。ジャズ、ダンス、鏡割りetc...と様々なことの演出をする。これ以降、第二文学部は毎年独自の卒業式をすることに。
 2001.06
太平洋第三回公演「太平洋伝説」。第6回早稲田演劇フェスティバル参加作品。早稲田どらま館にて。
 2001.11
 早稲田EXPOオープニングイベント『海開き2001』。サッカリンサーカスと共同で行う。
2001.12
 早稲田劇XPO・フィナーレ公演『ヘヤ!ヘヤ!ヘヤ!ヘヤ!』に安永、脚本、演出で参加。奥村、森、小宮は役者として参加。
2002.06
太平洋第四回公演『ハンバーガークイーン』。早稲田どらま館にて。
2002.09-12 
 コンテンポラリーダンスカンパニー、イデビアンクルーによる『くるみ割り人形』に、演出助手として参加。劇場は世田谷パブリックシアター。 *東京国際演劇祭参加作品/世田谷子どもの劇場'02